水鷗流の歴史(十五代宗家のお話)
水鷗流居合剣法は、戦国の人、三間与一左衛門景延(みつまよいちざえもんかげのぶ)に端を発している。
出羽の国の人。十二社権現の神官三間斎宮の子として、天正5(1577)年に出生。幼少より父親について武を学び、卜伝流剣術や山伏伝来の杖法を修め、後、桜井五郎左衛門に林崎流居合の概要を学び、新たに一流を起こさんとの誓いを立て、昼は神木の前で抜刀撃刺、夜は神殿内に瞑想し、一心に精進した。無論故郷に留まっていただけではない。
諸国の霊嶽に籠って山伏の修業に励み、各地の武芸者について技を磨いた。比叡山僧兵の残党に会し、山法師伝来の戦場薙刀術も会得している。
故郷に帰り、研鑽の日々を過ごす中、ある夜、神殿内で瞑想中に円想観を修得、白鷗が水に浮かぶ姿を見るに到って忽然と悟り、遂に開眼した。
ここに到って、天の二十八宿、地の三十六禽に則り、法形六十四本が定められ、水鷗流居合剣法と号するに到った。居合、剣法、小具足、脇差、薙刀、杖術、を包括した武術である。
水鴎流は寛文5(1665)年景延没後、一子三間与八郎景長(みつまよはちろうかげなが)に相伝され、現在十五代宗家を、私 勝瀬善光(かつせよしみつ)が継承している。